最近知ったんだけど、ECOってゲームが終了するらしい。
このゲーム実は2005年くらいから続いているネットゲームで、知らない人はいないってくらい有名なネトゲだった。当時ではあの動くってだけで新鮮なゲームの次代にコミュニティを作れたのは反則で、中毒になった人も多いのではないかな?と思える。
実際これらのオンラインゲームは今やスマホゲーに移り変わってはいるものの、一方でにネトゲプレイヤーが心がける事っていう部分が非常に希薄になってる印象がある。元々ff11のゲームだって最初は無駄な時間をすごした・・・と思うのだろうかと。私だって数種類のゲームはある程度プレイはしてきたけど、そんな事で泣く・・・のかはちょっと分からない。
3000時間遊んだpso2は。2000時間遊んでいるFF14は。9割が放置プレイのようなものだけど、これらで楽しんでいた時間というのは思い出として残るからネット民の言うような『ざまぁ』的発言はあまり気にならない。でもこれらを大事にしている人にはかなりショックな出来事なのだろう。
■ 一番ショックなのは自分1人ではどうにでもならない空しさを感じる事。
そんな中で何がショックかと言うと、まるで世界滅亡の日のようにネトゲの中では終了を却下するっていうデモが起きる事なのかもしれない。
ECOでは現実問題起きていて、これらのデモを見ているとこう自分の世界が消えるのは許さないというかなぜ終了するのか!っていう気持ちに気付く。
その人たちにはかけがえのないものと思えるのかもしれないけど会社的には機銃の決断で『サービスを終了』せざるを得ない結果となれば彼らのデータも今年中に消えるのだろう。それをひどい!ユーザーの気持ちも考えないで!と思いたくなる気持ちはあるけど結局は商売な訳で、ユーザーはその時『金を取られてしまっただけの道具だったのか』と絶望する・・・というのが実は筆者の昔の気持ちでした。
一応これでも様々なゲームをしてきてサービス終了という部分に立ちあってはいるものの、今気づけたのはこれらの気持ちってそのゲームをプレイしていた時に『何か犠牲にした後ろめたさがあるか』という気持ちがどれだけあるかという部分だった。何度も言うがネトゲは別にセカンドライフを送るものではあるが会社はあなたの人生を保障はしてくれない。犠牲にした所で会社本来としては課金してくれるユーザー一人なんだから感謝はするけど社会保障とかを提供はしてくれないし、ネトゲ年金というのもない。
そんな現実を知っていて遊んでいるのかという部分に大きなポイントがあるんじゃないのかとたまに思うわけです。
でも今の時代は優れてて、それを商売にしている人やツイッターで人気になったり、または楽しむ時にネトゲだけじゃなくて違う付加価値をネットで手に入れられるようになっている。こういう面が幸いして、今はネトゲをプレイしててもダメージが少ないんじゃないかなぁと思い始めた。
パズドラでコラボもしていたゲーム。出来ればもう一度思い出してみて欲しいなぁと感じつつ、ユーザーはネトゲで遊んでいるのか遊ばされているのか。もう一度考え直さないといけないなぁと思いました。