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2017年。記念すべきポケモン映画20周年という事で『劇場版ポケットモンスターキミにきめた!』が遂に上映される事となった。
今までの映画は伝説ポケモンの催促・・・という感じで殆どがタイトルに伝説ポケモンを書いている中、今回の映画の中心はアニメ1話を彷彿とさせる初代のサトシ。
つまり1話からの全リメイクを思わせるような印象をかもし出す作品だった。
これは熱い!カスミやタケシとも会えるだろう!と思い、やはり初代のポケモンの存在が一番だと感じさせる作品だったのでは?と思ったのだ。
が、蓋を開ければ既存のポケモン軸に合わせた作品である事に動揺を隠せない人もいただろう。
かくいう私も、パンフレット以外情報はシャットアウトする人。ただ、CMがあったり様々な内容がチラッと見えた時、ん?っていう違和感。
帽子のデザインが違うことからパラレルワールドというものを示唆出来るが、どこまで改変されているだろう?というのが個人的な悩みでもあり、映画館に足を運ぶ要因となっていた事を先に話しておこうと思う。
そうだなぁ・・・例えば、このシールが付いているパンがまだ小さくなっていない頃とか言えば年齢はバレてしまうが、まだまだポケモン映画も現役で見ていた世代だ。
だからと言って、初代のイメージを汚すな!とパッシングをしたいわけじゃ無い。
そして、今回のポケモン映画はそんな懐古主義的な人にはエンドロールにて満足出来る仕様になっているのでその点は満足出来るんじゃないかな?
エアプ感しか書けない事はどうか許して欲しいし、その点映画上映のネタバレもしなくて良いのかな?って思ったので、少しずつ感想は小出しで書いていこうかな。というメモ帳気分で上映当日は書いていこうと思う。
■ 劇場版ポケットモンスターキミにきめた! 雑感等。
まず思った事。サトシが非常にかっこよく見えた。
そして、この作品で感じた事を色々と書いていこうとおもう。
■ 劇場版ポケットモンスターキミにきめた!で感じたこと。 その一 ピカチュウが喋る事の意味。
ピカチュウは、元々喋らない設定かどうか議論する話が以前から話題になっていた。
「ピカチュウはしゃべっちゃダメっていう設定を石原さんと田尻さんからもらっていたんですけど、サトシと旅をするわけですし、やっぱりしゃべらせたいっていう話をしたら、じゃあしゃべっていいっていうことになったんです。
でも、やっていくうちに、やっぱりポケモンは動物なんだとどんどん思うようになってきた。
だからピカチュウも、しゃべっちゃうと、動物じゃなくてピカチュウという動くキャラクターになってしまって、それはすごく気持ち悪い感じがしたんです。逆に、ピカチュウのかわいさを殺いでしまうような気がしたんです。だから、やっぱりしゃべるのはなしだねっていうことになったんです」 (湯山)
『ポケモンストーリー』より
じゃあ、なぜピカチュウが話すと違和感があるのかと言えば実は過去からこんな話があって、それを私は昔から知っていた為である。
うんちく臭い懐古的な話ではあるが、今回のピカチュウが話した事に関しては考えるべき点だろう。
ポケモンの映画である第一作品ミュウツーの逆襲では、ミュウツーとミュウが戦い続ける中サトシが間に入り、石?になってしまう。この時にピカチュウは涙を流し、サトシに訴えかけ続けるのだが、この時にピカチュウは喋る事は無かった。
そう言えばこの時、ピカチュウって喋れなかったかなーと思ったけど、今考えてみればあの時の戦いはポケモン同士のぶつかり合いに割り込む人間の存在であり、ピカチュウがそこで喋ると『人に一歩近づいてしまう』。
そんな違和感しか考えられなくなるから、そのまま話さない方がよかったのかもしれない。
今回のポケモン映画である君に決めた!は、存在理由と共存はまた違うテーマで。
そして、今回はピカチュウとサトシの冒険活劇を描いている。だから話したとしてもそれは、世界観を崩さないから違う味を感じられた。君に決めたその言葉の意味を直接感じさせられる内容となっている。
昔と違ってピカチュウは一つのキャラクターとして見ても気持ち悪く無い存在となっていた事や、受け入れられていた事実。そして『ありえない』と20年続けた事による深みはやはり動揺を感じてない。
ここは賛否両論なのは当然だか、当時の湯山監督からすると皮肉かもしれないが、ピカチュウはキャラクターとして以上にシンボルとしての存在としてなっていた事もあるのもいいなぁ
しかし、それもまたポケモンの古き良き歴史が続いた事による結果であれば悪いことでは無いんじゃあ無いかなぁと思うわけですよ。
ポケモンってじゃあ映画としてどう変わったのか。20年という年月を感じさせる作品だった。